【note連載】文鳥が旅立っていった。

note連載

少し前にnoteに記事を書いたばかりなのに。

桜文鳥にしては少し変わった模様のしらすくん(神奈川出身)が、8歳くらいでこの世から旅立っていってしまった。静かな最期だった。

赤ん坊の世話でいっぱいいっぱいで、文鳥たちに気を配ることが出来ていなかった。しらすくんは今朝から体調が悪そうだった。少し前から体調が悪かったのかもしれない。止まり木に止まることもできず、かごの下の新聞紙のうえでうずくまっていた。

最後にわたしが夕飯を食べる前、自室のしらすくんに「ご飯食べてくる」と声をかけた。ぐったりしているしらすくんが、キャルル、と弱々しく鳴いた。今日初めて聴く鳴き声だった。おどろいてしらすくんを見ると、今日1日の様子と変わらず、かごの下にある新聞の上でぐったりとしているままだった。

食事を終えて帰ってくると、しらすくんは、地面にくちばしをつけていて、苦しそうに動いていた体はもう動いていなかった。
目も閉じていて、夕食前に見た姿のままだったので、まだ生きているかと思うくらいの姿だった。
しらすくんのかごを保温するのに使うため、急いで買ってきた延長コードも、もう必要なくなった。


このnoteにも書いたように、しらすくんはわたしの社会人生活を支えてくれていた。新卒で入った神奈川の会社で残業天国だったころからずっとだ。

こんな言い方をすると語弊があるかもしれないが、今回しらすくんが旅立ったことで、本当に区切りがついたような気がする。
しらすくんが居る間は、社会と闘うんだ!と思っていた。社会人生活、もううつ病で諦めてしまったのだけど、本心ではまだ区切りができていなかった。

周りの友人からの結婚するという話や、昇進したという話、出産したという話を聞くたびに、こんなことをしていていいのだろうか。頑張らないと。と考えていた。現実的に出来る状態ではないのに、やればできる、と無理に考えてしまっている部分があった。

しかし、なんというか、頑張るモチベーションのようなものが、ぷつりと焼け落ちた。蝋燭の火がふっと吹いて消されるように、しらすくんの死が、わたしの社会に対する競争心をふっと鎮めたような気がした。

うつで仕事も婚約相手も愛車も失って、最後に残っていたわたしの宝物がしらすくんだった。
29歳、病気で宝物はほとんどなくなってしまった。宝物が無いのなら、なんのために生きていけようか、と思ってしまうのだ。

宝物のために生きる、というモチベーションが、すっかりと消えてしまった。どうやって生きていこうか。宝物をまた見つけないといけないのか。


しらすくんと過ごした7年間、とても大変なことばかりだった。社会をうまく渡ることができず、最終的にはうつ病になり自己破産もした。
しらすくんがきた7年前の日を昨日のことのように思い出す。7年前はわたしもしらすくんも元気だったし、若かった。海沿いのマンションで一緒に暮らしていたことも思い出す。

外に出た。少し雨の匂いがする。秋の香りがし始めていて、信号の光はいつもと全く変わらない。少し歩いて、少年の自転車がわたしを追い越していった。ほんの小さな雨粒がわたしに落ちてきて街灯がにじむ。

あ〜さみしいな。

あの世というのがあるのであれば、あちらでは幸せにパタパタと羽ばたいていられることを願う。

タイトルとURLをコピーしました