母が泣いている。
声がする生き物が死んでしまうのは、とてもつらい。また声が聞こえてくるようで、でももう聞こえない。それがとてもつらい。
いつも帰るとピピピッと鳴いて、ご飯をねだってきたのを思い出す。同居しているもんちゃん(シナモン文鳥)と一緒にねだってきたのがかわいくてしょうがなかった。と、また泣いた。
昨日の晩、ひとりでしらすくんを見送った。
今日の夜になるまで、家族にはしらすくんの死を伝えることができなかった。この悲しみを家族と共有することで、また、悲しくなるのが辛かったからだ。
今日、母を迎えにいった際に、母と姉にしらすくんの死を伝えた。思っていたよりも母も姉も、しらすくんの死を悲しんでいた。
家に帰って、カゴに横たわる亡骸を見た母なんて、しゃくりあげて子供のように涙をぬぐっていた。母は早くに姉や父親を亡くしていた。しらすくんも父親も姉も死んでしまってさみしい、と泣いた。
泣いている母を見ないようにして、わたしは涙をこらえながらしらすくんの羽根を切った。
小鳥の火葬では骨壷に残せるほど骨が残らない。わたしは、しらすくんの痕跡を手元に残したいと考え、羽根を5つ根元から切った。
しらすくんらしい、白とも黒とも言えない色の羽根。母が泣きながら羽根を瓶に詰めてくれた。
羽根を切る時に持ち上げた、しらすくんの冷たさ、軽さが、記憶の中のものと違いすぎて、
部屋に戻ってこっそり1人で泣いた。
偶然、うつ病になって実家に戻っていただけだったが、ひとりでなくてよかったと、思いながら泣いた。
わたしの部屋に置いてある、空っぽになったしらすくんのかごはまだ片付けられていない。母が言うように、鳴き声が聞こえてきそうで、鈴を鳴らして遊んでいた音が聞こえてきそうで、なんとも、片付けられなかった。
連休明けに、火葬の問い合わせをする予定だ。
あ〜やっぱり、さみしい!
生まれ変わってきたらまた遊ぼう。

