いつからだろうか。結婚する前から、思いついて習慣になっていた。気づけばもう25年。
最初に使っていたフィルムのカメラは壊れてしまって、今はデジタル一眼になった。仕事を終えて君の待つ家に帰る。帰って、夜の初めごろに君のことを撮る。
1枚目、ぎこちなくこちらを見ている君が写っている。「えーほんとに撮るの?」と顔に書いてある。ノーメイクでボサボサの長い髪、20年経った今でも「撮り直したい!」と大真面目に言っている。タイムマシンも頑張って作るらしい。応援してるぞ。今日から、毎日撮影を続けてみることにした。
喧嘩してこちらを向いてくれなかった3日間があった。1日目はこちらに背中を向けて料理をしている。夕飯にはわたしの好物はほとんどなかった。2日目は少しだけ顔が見えている写真になって、好物が1つ入っている。3日目には、少し、わたしの好きな食事になってきているが、まだ少ない。
4日目、わたしが停戦用に買ってきたチーズのおやつを手に持った君がにこやかに写っている。さながら元号発表の写真のように、チーズのおやつが高く掲げられていた。
スキー場で撮影をしたこともあった。もこもこの服を着た君が、ゲレンデの休憩所でカレーを食べた後に滑って転んだ。カレーが高い割に美味しくなかった!と、子供のように駄々をこねていた時に滑ったのだった。驚いて少し泣き、寒さも相まって、鼻が赤くなっていて、長い三つ編みも雪まみれになってしまった…という写真。
安い居酒屋は格好の撮影スポットだった。お酒が好きな君は、小綺麗なバーなんかより、赤ちょうちんのぶら下がっている居酒屋を好んでいた。仕事帰りにそんな店で、周りのおじさんよりもお酒を沢山飲み、豪快に、わはは、と笑っている写真は両手で数えきれないほどあった。たこわさが好きな君は、たこわさ1杯につきビールを2杯飲み干していて、コスパのいい女だぜ、と酔うといつも言っていた。
お祭りが好きな君は、よく半被を着て写っていた。女の人は神輿はかつげないのに、無理矢理参加している写真が出てきた。男勝りな性格が如実に画像に残されていた。毎年夏になると、お祭りの君が写っている。最近はしっぽりと日本酒を飲みながら、祭りを味わう写真になってきた。「娘ができたら、名前はまつりにしよう」と大真面目に言っていた時の写真も出てきた。彼女の母親が猛反対して、まつりという名前は却下された。
移動中はもっぱら眠ってしまう君の口が少しだけ開いた写真も沢山あった。新幹線や飛行機、高速道路のサービスエリアなどだ。夕方の西日がキラキラと輝いていて、その中で眠っている君は幸せそうにしている。いつも左の頬によだれが2cmほど、たらっと垂れているのだった。
展示会イベントが好きな君と行った、あらゆるイベントの写真も沢山ある。車の展示会や、農業に関する展示会・ゲームの展示会なんてのにも僕らは参加していた。営業マンが沢山いて、少しアウェー感があるのか、固い笑顔で写る。いつものように長い1本の三つ編みだけは楽しそうに揺れていた。
多かったのは、早めのお風呂を済ませた君がパックをしている写真だ。わたしはいつも顔が白くなって目と唇だけが浮かび上がっている君を見て大笑いして、カメラのシャッターを押したものだった。君から、パックが剥がれるから笑わせないで!という焦ったような声が写真から聞こえてくるような写真だった。
僕が在宅で君は出社、という日は、迎えに行った駅で撮影することも多かった。最寄駅の「祖師ヶ谷大蔵駅」の改札前で、よっ、と手を挙げている写真がたくさんある。挙げた手につられて長い三つ編みが舞っている。大雨の日、ずぶ濡れの君が帰ってきた時の写真なんて、雨で張り付いた前髪にうらめしいと顔に書いてあるくらいのものだった。いつもテンションの高い三つ編みが、雨に濡れるとしょんぼりとしている。
ある日を境に、病室のベッドの上に君がいる写真が増えてきた。たくさんの管が繋がれたすっぴんの君が、ベットの上で眠たそうにピースをしている。病院で借りたあわい色の院内着をきて、白い顔をした君がぐったりと写っている。この頃には、いつもの長い三つ編みも切ってしまって、髪型はショートカットになっていた。切り立ての長い三つ編みを手に、スッキリした!という顔で写真に写る君は少し寂しくもあった。
2人が住む地方にしては珍しい、街に雪が積もった日だった。その日から、ぱっちりとした目元が、とても君に似ている小さな赤ん坊と写る写真が増えた。君が赤ん坊の世話をしている様子が、それからの日常になった。
おむつを変えている君、小さいお風呂に入れて赤ん坊のおしりを洗う君、大泣きする赤ん坊に急かされながらミルクを作る君など、初めて見る君が沢山増えていった。寝不足でミルクを与えている君は、赤ん坊を抱きながら眠ってしまうことも沢山あった。
赤ん坊が君の身体の上で眠り込んでしまい、動けなくなったー!と言っている君の写真が沢山ある。その度に、わたしが写真を撮ってから、赤ん坊を拾い上げた。君は、写真撮ってないで助けてよー!という顔をしている。
ある晩、この習慣の終わり方を1人で考えていた。悲しい理由以外での終わり方が思いつかなかったので、それなら自分で終わらせてしまうかと考えたのだ。
妻にそのことを話すと、「え!ここまできたら、棺桶で寝ているわたしも撮ってよ!お葬式のお花も撮ってよ〜!」と、突拍子もないことを言っている。こういうところが好きなのだった。明るくて、悲しいことはあまり考えていない、そんなところが好きだった。
僕より先に死なないで欲しいな、とぼんやり思いながら、とりあえず撮影し続けることを決めた。

