【note連載】仕事を辞めて3ヶ月「なんか機嫌いいヤツ」になれた

note連載

仕事をしていたとき、ひどい人間だったと思う。

母にもダルそうに対応してYouTubeショートをダラダラと見て恋人だけは長電話している、赤ん坊のことを全く手伝わないわりに食事や家事はやってもらう。自分最優先で生きていた。

退職を経てからの、「今の自分優先」は質が違うような気がしていて、なんだか嬉しいのだ。

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目次

  1. 機嫌のいいヤツになれている
  2. 個人戦の世界を捨てられた?
  3. あとがき

機嫌のいいヤツになれている

いまの自分の心の持ち方はとても気に入っている。自分を優先しつつ人のことを助けられていて、その状態がうれしい。
仕事が大変で彼女と結婚を考えているが借金があって、という状態だったときは、前述の通り全く余裕がなかった。自分で精一杯で嫌な奴だったと思う。

今の自分は「なんか機嫌のいいヤツ」になれていると思う。家族とも冗談を言い合ったり、ひとりで赤ちゃんに歌を歌ってあげたりできている。ごはんをおいしい!と言いながら家族と食べられている。それがとても嬉しい。

人生の目標を決められないことが社会人になってからの悩みであった。周りの友人達は「親になる」とか「一人前になる」とか言っていたが、なんだかピンと来なかった。

ようやくわかった、私の人生の目標のひとつは「なんかいつも機嫌のいいアイツ」になることだ。

「なんかいつも機嫌のいいアイツ」とは、いつも冗談を言って周りを笑わせていて、物事を深刻に捉えないで飄々としている。いつも周りに風が吹いているかのように爽やかでさわっとしていて、なんだか楽しそうにいつもやっているらしい、アイツだ。幼い頃の自分はそうだった、と思い出した。

やる前からネチネチ考えて失敗したらどうしようとか、それ本当におもしろいの?とか、どうせ◯◯だ…と考えて、ナナメに見ていたアイツではなく。

本来はこっちが自分だったような気がする。
これはまさに、赤ん坊を鎹にして生まれた家族の絆によるものだ。人に尽くしたり人のことをしてあげる、ということの意味が少しずつわかってきて、自分がどうあったか、どうありたいかがわかってきた。(以前の人間性ならこんな文章も出てこなかっただろう。)


個人戦の世界を捨てられた?

これまではハリボテの自信でなんとかやってきていた感覚だったが、うつ病になり借金で首が回らなくなり、全て家族に話すことになった。
それも変な虚栄心を捨てるには必要だったのだろう。しんどいときはしんどいと今は伝えられるようになったし、助けて欲しい時はそう伝えられる。数ヶ月経つと、人を気遣う気持ちや大変そうな人を助けられる余裕が出てきた。こんなことになるとは、うつになった当初は想像もしていなかった。

自分に無理をさせていた時期は「人を頼るなんてとんでもない!責任は自分で取りますので!」と強情に思っていて、それを他人にも押し付けていた。「全員100点出して、自分のことは自分でやろうな。」という思考が周りに向いていた。家族という最小単位の共同体でもその思考を持っていた人間が、職場という大きめの共同体でうまく行くわけがない。助け合いなんて頭になく、脳内はさながら個人戦のトーナメントだ。

「人を頼るなんてとんでもない!」という思考は、「私は頼らないんだから周りも完璧にやってね!」という思考につながっていた。なので周りの人間や環境に対する期待が高く、すぐ失望する。「私が入る会社なのだからしっかりしているに違いない!」みたいなお嬢様的思考があったりした。電車なんかでも、規律を乱すやつを見ると心がザワザワムカムカしていたのはそのせいだったのだ。わたしはしっかり大人しくしているのになんで変なことするんだ、と思っていた。(前書いたお嬢様の話↓)

https://note.com/embed/notes/n52f02a1b0c3f

そんなえげつない競争的思考が少しずつおさまってきた。現実はただ日々を浪費しているような感じだが、少しずつ良い方向に向かっていると、ふと思った。
そもそも自分が100点無理だし(ヘラヘラ)というスタンスがちょうど良いんだろうな。


あとがき

これはとりとめない心の中を書いてみたので、読みにくいと思う。ごめん(^人^)

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